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焚巻

June 14,2017

「フリースタイルダンジョン」の名勝負でも知られる凄腕ラッパー、
FReECOol全曲プロデュースで遂に1stアルバムをリリース!

PHOTO: Jesse Kojima

From ISSUE 54 (05.31.2017)

「フリースタイルダンジョン」で4人のモンスターを撃破し、ラスボス般若を引きずり出して「神回」とまで言われた名勝負を見せて、強烈な印象を残した焚巻。最近ではオリエンタルラジオ率いる「RADIOFISH」作品にも参加。そんな焚巻が、本人曰く「スタートライン」となる1stアルバム『Life is Wonder』をリリースした。全曲プロデュースを手がけるのは、RAIZENとともにレーベル「HUMANMUSIC」を主宰するFReECOol。本作収録曲の「トウキョウジャズ Feat.輪入道」では、輪入道との約5年振りとなるコラボレーションを果たし、話題を呼んでいる。全9曲、ヒップホップに人生の光を見出した焚巻のソウル・ミュージックがここにある。焚巻とFReECOolに話を聞いた。

FLJ ラップはどういうきっかけで始めたんですか?
焚巻 始めたのは14歳の時。中学校2年生の時から池袋でライヴをするようになりました。地元は埼玉の川越ってところで、実家は川越の中でも外れの田舎でした。学校にはまともに行ってなくて……そのまま進んでいくと、ギャングに入るか暴走族に入るかっていう選択肢で、嫌なら真面目に職人になるっていう。自分はテキ屋の手伝いをしつつもヤンキーってタイプじゃなかったので、どうしようかって時に、僕らの1コ上の代でどっちもなくなって。そんな時に、僕らの溜まり場にいたら、先輩が一枚のチラシを持ってきてくれたんです。そのチラチのことをフライヤーって呼ぶことを後で知るんですけど(笑)。そのフライヤーのデザインがめちゃくちゃカッコ良くて、初めて行ってみたのが池袋のMADAM CARRASでした。そこからすべてが始まってますね。遡ると、僕らが小学生の頃ってSteady&Co.さんとか三木道三さん、RIP SLYMEとかが流行ってたので、ラップには触れてたと思うんですけど、ちゃんとヒップホップに触れたのはMADAM CARRASが最初でしたね。

FLJ 初めてのイベントに行ってみて衝撃を受けたんですか?
焚巻 クソつまんねーって思ったっすね(笑)。
一同 爆笑
焚巻 音は大きいし、外人はいるし、酒は飲めないし。振りのある曲でみんな踊ってるけど、そういうのも知らなかったんで、何だここは?って(笑)。でも、何回か行ってるうちに顔見知りができたり、お酒が飲めるようになってきたりして、だんだん楽しくなってきて。そこから徐々に夜にシフトチェンジしていきました。とにかく他にすることがなかったので。

FLJ その一枚のフライヤーが人生を大きく動かしたんですね。
焚巻 そのフライヤー、今でも持ってるんですけど、今見るとクソダサいんですよ(笑)。

FLJ そこから自分でラップをやろうと思ったきっかけは何だったんですか?
焚巻 フライヤーをくれた先輩たちがダンサーとラッパーだったんですよ。僕の姉ちゃんの同級生だったので、自然とその先輩たちと遊ぶようになって。きっかけはレコードをもらったことだと思います。そこにインストが入ってたんです。それで曲を書いたのが最初ですね。もちろん最初は、韻とかもよくわからなくて、全踏みとか母音とか子音がどうのとかっていうのもわからなかったですし、ケツの落とし方もわからなかった。まず小節が数えられなかったので、音が変わるところで区切ったりして。それでも作れたんですよ。スゴくないですか?! 何もわからないのに。フックなんて知らないからサビって呼んでましたし、ヴァースも知らないからAメロって言ってた(笑)。その後から、日本語ラップ音源とか洋楽を聴いて、徐々に韻のことだったりをわかるようになっていきました。

FLJ 一番影響を受けたアーティストは誰ですか?
焚巻 たくさんいるんですけど、ウータン・クラン、ブート・キャンプ・クリック、ブラック・ムーン、ヘルター・スケルター、NAS、ジェイ・Z、エミネムになりますね。挙げたらきりがないです。

FLJ 影響を受けてるのはUSヒップホップがメインなんですね。
焚巻 そうですね。知った時から今日までずっとカッコいいと思ってるラッパーは、J.R(JACKPOT ROCKERS)のMOTOYさんと、HUMANMUSICのRAIZEN君です。

FLJ 実際にラップを始めてからはどういう活動をしていったんですか?
焚巻 現場での活動はライヴがメインですけど、それ以外はほぼ毎日フリースタイルをしてました。制作もしてたんですが、16歳から21歳くらいまでは、基本的には365日フリースタイルでした。さっき話したみたいに地元の夜は何もないんですよ。することと言ったら、酒飲んだり、悪いとされるものをキメたりして。でも、キメたところで金がないので、することがないんですよ。だから、フリースタイルしようぜっていう(笑)。当時、ちょうどビートボックスとかも流行り出してた時期だったんで、みんなで集まってビートボックスやケータイの音にに合わせてフリースタイルをするっていう感じだったんです。

FLJ じゃあ、フリースタイルを始めたのは本当に自然な流れだったんですね。
焚巻 当時は、今みたいに10代の子のシーンってなかったし、入れるクラブも限られてる中で、一人でイベントに遊びに行くと、周りは全員年上なんですよ。だから、もし出たいパーティがあったら、僕はその中で勝ち取らないといけない。MTRも持ってなければ、オリジナル・トラックも持ってなかったので、自分をアピールするためにはそのイベントでフリースタイルをするしかなかったんですよ。そうしないと覚えてもらえないので、フリースタイルを音源代わりの名刺にしていました。

FLJ フリースタイルのスキルはどうやって磨いていったんですか?
焚巻 オープンマイクを握ったりして上手くなっていきましたね。初めはスゲー下手クソでした。当時はJ.Rの人たちや地元の仲間とやることが多かったですけど、スゲーボコボコにされて、家帰って何回も練習していうのを繰り返して。学校には行ってなかったけど、唯一続いてたのがヒップホップでした。心のどこかには、ずっと続けていくには食えるようにならないとっていうのはありましたけど、それにリアリティが出てきたのは、本当に最近だと思います。

FLJ それはどういうタイミングで?
焚巻 HUMANMUSICに入った時です。FReECOol君とRAIZEN君、デザイナーのJAL君の三人が立ち上げた池袋のレーベルで、そこに僕とDJ DAIが所属することになるんですけど、どうにかしてラップを生活の基盤に変えれたらいいなと思って、その門を自分たちから叩きに行きました。

FLJ 二人の出会いはいつだったんですか?
FReECOol 僕が先に彼のことを知ってたんですよ。池袋bedでライヴをやってた時に初めて彼を見て、17歳って聞いてビックリして。「クソカッケーじゃん、こいつ!」って思ったんですよね。その時はまさか一緒に何かやるとは思わなかったですけど。その後、2012年に僕はHUMANMUSICでファースト・アルバムを作ったんですよ。その時に彼を誘ったんです。
焚巻 その時にフィーチャリングで呼んでもらったのが、僕と輪入道でした。「頭狂JACK」って曲をやったんです。そこから5年経った今、僕のアルバムにFReECOol君のトラックで輪入道を呼んであの日の続きをラップしたんですよ。それが「トウキョウジャズ feat. 輪入道」なんです。だから、あの曲はMVも作って、前作とは違う角度でスタイリッシュに新しい見せ方をしようって作りました。


左から、FReECOol、焚巻

FLJ その「トウキョウジャズ feat. 輪入道」が収録されているファースト・アルバム『Life is Wonder』が先月リリースになりましたが、反響はどうですか?
焚巻 今回は全国流通をして、いろんなところに行かせてもらってます。本当にありがたいです。こうやってFLJさんに取材をしてもらうことも今まではなかったので、音源やアーティストとしての見せ方も少しはできてるのかなと。それがやりたくて出したアルバムなので。

FLJ 最初からこういうものを作ろうっていうイメージはあったんですか?
焚巻 最初は漠然としてましたね。
FReECOol ただ、新しいものを作りたいっていう共通の意識はありましたね。あとは、流行りにカブれないというか。ファースト・アルバムってアーティストにとって一生抱えていく作品なんですよ。だから、本当に自分が納得したものができないとっていうのは思っていました。
焚巻 このアルバムの中にはスゲーいろんなヒップホップが入ってるんです。最近の流行りには乗らず新しいものを提示するには、誰かがやってることをやるんじゃダメだったいう意識で作りました。トラップだったりとか、そういう流行りのものを聴かないでやってなかったんじゃなくて、聴いた上で違うものを。食わず嫌いをしてたわけじゃないんですよ。自分はブレイクビーツもポップスも聴くし、何でも聴くので。そういう耳で作った新しいものがこのアルバムです。ジャジーなフレイバーもありますし、4つ打ちのドラムもありますし、新たなヒップホップがこのアルバムには絶対に入っているので、いろんな人に楽しんでもらいたいです。

FLJ 確かに新しいけれど、全体を通してスゴく聴きやすいなって感じました。
FReECOol そこはもう狙い通りですね。
焚巻 僕の中では、このファーストにたどり着くまでのストーリーも重要で。今作のアルバムの前には、ミックスCDをDJ PENNYさんと出してるんです。そこには南は沖縄から北は北海道まで、そして今年の6月で10周年を迎えるパーティー、「THA INSIDE」を固めるラッパー達に参加してもらって。さらにその前には、DJ DAIとのユニットNewJack Skillzで、12インチをFReECOol君のトラックで出したんですけど、それはバリ黒いんですよ。1MC+1DJ+1TRACKってやっぱりヒップホップじゃないですか。それらがあっての今回のアルバムなんです。ちゃんと地下から積み上げてきたストーリーがあるので、これだけ明るいものが、どんな人にも聴いてもらえるものができた。「SUNDAY」っていう曲のフックで、「Peace Peace」って言ってるんですけど、僕らの言うPeaceって、「お手々つないで」のPeaceじゃないんですよ。拳を突き合わせて、煙の向こう側で親指が伸びて、カッコつけない、そういうPeaceなんです。当時は1マイクを奪い合ってた。でも、そのマイク一本で分かち合えるようになった。で、分かち合えるようになって増えたのはライバルだったんですよ。敵じゃなかったんです。そういう中でできたPeaceなんですよ。Life is Wonderなんです。音楽と歩む人生は不思議の連続。自分のことをフリースタイルで知ってくれた人がいて、「フリースタイルダンジョン」に出たことも良かったと思ってる。そうやってフックアップされた中、焚巻として一枚の名刺ができ上がりました。リリースの度、ここがスタートラインだと思っています。前を向いた今作にはFReECOol君が絶対に必要だったんです。FReECOol君というプロデューサーがいないと成り立たなかったので。

FLJ プロデューサーとして今回一番重要とした部分はどこですか?
FReECOol 今回のテーマは「アーバン」だったですけど、僕は今兵庫県の加古川市っていうところに住んでいて、東京に住んでいないので、外側から東京を見れる。その外側から見えるアーバンなんですよね。だからちょっと新しい。僕も焚巻も東京に住んでたら、たぶんこのアルバムはできなかったと思います。
焚巻 もうちょっと東京サウンドになってましたよね。
FReECOol だから、サウンドのテーマとしては「俯瞰した東京」なんです。その中で、焚巻のリアルな部分というか、リアルな言葉をそこにハメて新しいものを作ったっていうのが今回のアルバムですね。
焚巻 で、それをさらに洗練してCDのジャケットを作ってくれたのがデザイナーのJAL君です。できるだけ加工はしないようにして、ワンダー感を出そうって話してくれて。ジャケは池袋のサンシャイン通りで撮ったんですけど、僕は止まって、動いてる人はみんな透けて見えるっていう手法を使って撮りました。

FLJ さっきも話に出ましたが、「フリースタイルダンジョン」に出るきっかけは何だったんですか?
焚巻 DARTHREIDERさんにお話をもらい、出演しました。

FLJ 結果的にはスゴく大きな反響を得ることになりましたよね。
焚巻 街を歩いてて声を掛けられるとか、いろんな人から連絡をもらったりとか。SNSのフォロワー数なんかはスゴくわかりやすいですよね。たぶん、この流れはいろんなラッパーが感じてると思います。でも、自分の内側は良い意味で何も変わってなかったです。終わって直ぐにRAIZEN君に電話したんですよ。その時の電話は謝ったっすもんね。「負けちゃいました。すいません!」って。バトルって、勝ちか負けしかないので。だから負けたっていう事実しか残ってなかった。でも、実際に放送されてからの反響と自分の気持ちとのギャップがスゴいあったのでびっくりしました。もうだいぶ前の出来事ですね(笑)。

FLJ あの後、フリースタイルに対する気持ちの変化はありましたか?
焚巻 全くないです(笑)。さっき言ってたように、僕がフリースタイルを練習してたのは21歳くらいまでで、それ以降はバトルがあってもあまり練習とかはしてなくて、あの時はフリースタイルをやらなくなってた時期でした。今はラッパーとしてもう一つ上に行きたいと思っています。これがブームで終わりたくないんですよ。
FReECOol たまたま「フリースタイルダンジョン」に出てバズりましたけど、その前から音楽でやっていこうっていうのは決めてたんですよ。だから、本当にタイミングだよね。
焚巻 そうですね。その後のアウトプットの仕方はスゴく考えました。まず最初に、SEIJI AKINAI君とシングルを作ってMVを制作しました。その間に、前に出した曲と残してあったヴァースのリメイクをFReECOol君がやってくれて。それを3曲フリーで配信して。3週続いた番組出演後に毎回楽曲を出すっていう。だから、そういうフリースタイル以外を見せるためのアクションは起こしました。その流れで音源に結び付けていくことが一番自然だったので。話を戻すと、自分がフリースタイルをしなくなった理由なんですが……一人になったんですよ。当時、地元の仲間やグループでぶっ飛んでラップをしてたんですけど、よくある話で、エスカレートしていって。パクられるか、いなくなるか。そのまま僕も捕まることになるんです。その時に、友達に彼女をまかせてたんですけど、帰ってきたらそいつと結婚してるんですよ。
一同 えっ?!
焚巻 結局、はみ出した分は返ってくるんですね。その後、J.Rも活動休止になって。いつの間にか一人でずっとマイク持ち続けて、地元に帰っても入れ違いで捕まったりして友達がいなくて。一人っすよね。フリースタイルなんてしなくなるんですよ。やる相手がいないんで。で、どうなるかって言うと、曲を書くようになるんですよ。そうやってアウトプットの仕方が変わって、自然とフリースタイルから離れていきました。ただ、本当は一人じゃなくて、DJ DAIや付いて来てくれた地元の仲間もいたのに、人の優しさを見ようとしてなかった。。J.Rの時はそこそこ集客できてたのに、ソロになった瞬間、1部の一番手に変わって、集客1人とかですよ。誰も呼べない月もあるんです。でも止めなかったんですよ。好きだったんですよ。意地もプライドもあったと思うんですよ。弱さを痛感して地に足が着いた瞬間でした。そうやって真っ暗闇になると、人は光を探すんですよ。僕にとってその光がヒップホップだったんですよ。光があるとそこに向かって走るじゃないですか。でも走るとコケるんですよ。自分の甘えとかに。転んで泥をすするんですよ。そんな時に「大丈夫だ! 一緒に行こうぜ!」って言ってくれたのがFReECOol君やRAIZEN君、HUMANMUSICの人だったんです。それがこのアルバムに繋がっていく。全部繋がっているんです。人に何かを伝えるって、自分が中途半端じゃダメじゃないですか。それは周りにいる人たちから学んだことです。最後に一つだけ。ぶっ飛んでた時期の話で、仲間と3人暮らしをしてて、マンションに帰ったらリビングの真っ白な壁が、そこら中落書きだらけになってて、もうカオスなんですよ。仲間に問いただしたら「壁が白かったから描いたんだよね」って一言だけ言われて、あぁこれも「Life is Wonder」だなと。



『Life is Wonder』
4月24日リリース
(HUMANMUSIC)

Twitter
@TAKUMAKI_HM

HUMANMUSIC
www.humanmusic-ikb.com

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