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LIV TO RIDE, RIDE TO LIV

April 13,2017

JSLVチームが来日!
神立高原スキー場でファンセッション・イベントを開催

PHOTO: Jesse Kojima

From ISSUE 53 (03.30.2017)

南カリフォルニア発のブランド「JSLV(ジャスリブ)」。2007年にスタートしたこのブランドは、サーフ、スケート、スノーといったボードスポーツと、グラフィティ、ヒップホップなどのストリート・カルチャーとのクロスオーバーを体現するブランドだ。今回2月にブランドを主宰するジョシュ・プリービー、ジェイソン・ ヴァレンシアの二人と、スノーボーダーのクリス・ブラッドショウ、タイラー・リンチが来日して、日本の戸田聖輝、高尾翔馬と合流。2月18日には神立高原のパークを貸し切って、特設セクションで自由にスノーボードを楽しんでしまおうというイベント「LIV TO RIDE, RIDE TO LIV」が行われた。イベント会場にはブースが設けられ、フリー・ビール、ヒップホップがガンガンかかる中、フリーセッション、ハイオーリー・コンテスト、ダウンレール・セッションが行われた。ジョシュ・プリービー、ジェイソン・ ヴァレンシアの二人のインタビュー、そしてクリス・ブラッドショウ、戸田聖輝のインタビューをこの日のイベントの模様とともに紹介したい。


左から、クリス・ブラッドショウ、ジェイソン・ ヴァレンシア、ジョシュ・プリービー、戸田聖輝。来日した初日に原宿に来てもらって取材となった。



JSLVを主宰する二人、ジョシュ・プリービー、ジェイソン・ ヴァレンシア

FLJ 二人のバックグラウンドを聞きたいんだけど。
ジョシュ 子供の頃からスケートボードから始まって、サーフィン、スノーボードを楽しんできた。LAの郊外で育って、18歳の時にサンディエゴに移って、Sector 9で働くことになった。そこでアル・パータネンと出会ってILLENIUM Skateboardsを1999年に始めた。ILLENIUMの後は、友達のダン・コネリー、ピーター・スモリックとSK8MAFIAを始め、ハンティントン・ビーチに移って、SK8MAFIAをやりながらBlitz Distributionでセールスの仕事を始めた。その時にジェイ(ジェイソン)と出会ったんだ。BlitzではFlip Skateboardsなどを扱っていて、ジェイは当時Flipのデザイナーだった。ジェイはいつもSK8MAFIAのグラフィックも手伝ってくれたし、ミックステープもくれた。すでに親友だったね。
ジェイソン 僕はLAで生まれ育って、2003年からBlitz Distributionで働き始め、グラフィック・デザインをやっていた。ジョシュ・プリービー(プリーブス)とはすぐにウマが合ったね。プリーブスとはいつも一緒にアイデアを考えてたよ。ちょうどその頃BlitzがHoweというアパレル・ブランドを他の会社に売却して、服のブランドをやる余地が生まれてね。それで二人で当時のBlitzの社長のところに行って、スケートと服を両方やるブランドをやりたいって話をしたんだ。ただ最初に出たブランド名の許可が降りなくて別の名前を考えて最後に出たのが「JUST LIVE」だったんだ。だけど、「もっとユニークな名前にしなきゃ」ってなって、「JUSLIV」にして。さらに、もっとサブリミナルでもっとミステリアスなものにしようってことで、「JSLV」にしたんだ。

FLJ 最初のプロダクトは?
ジェイソン シグネチャーの入ったベーシックなTシャツとNew Eraのハット。当時New Eraはエクスクルーシヴ性を保つために新しいブランドにアカウントを開くことはなかったんだけど、僕はFlipなどBlitzのデザインをやってたから、「今度新しいアパレル・ブランドをやるんだ」ってアイデアを出したら、コラボが通ったんだよ。
ジョシュ New Eraが決まってすぐにサンディエゴのASRに出展したんだ。そこでNew Eraのハットを300個、無料で配ったよ。
ジェイソン 展示会場内を歩いているヤツ全員に配ったね。既にウータン・クランとのコラボもやってたから、「これは一体何なんだ?」ってなって。すぐにバズって広まったよ。「JSLV」のロゴについては、プリーブスとグッチやシャネルみたいにナイスでクリーンなものにしようと話してたんだ。それで僕はコンピューターでいろいろ作ってみたんだけど、なかなかしっくりこなくて。それでシャーピーで描いてみたら、「フレッシュじゃん!」ってなって。その手描きのシグニチャーがロゴになって、その後に、「J」が左右に交差しているフックスのロゴが生まれたんだけど、それはジョシュとジェイソンの「J」をレペゼンしてるし、「J」と「L」も交差しているんだ。それを円で囲んで、クリエイティヴなユニティを表現してみたんだ。そこからさらに、普通に「JSLV.」と読めるロゴを作って、4つ目のロゴは同じフォントで「JUS LIV」のロゴを作った。だからJSLVには4つのロゴがあるんだよ。
ジョシュ 人によっていろんな捉え方があるんだ。
ジェイソン 人によってブランドとのつながりも違うしね。例えば、プリーブスにしても、スノーボードだけじゃなく、サーフ、スケートで育ったわけだし、それってカルチャーなんだ。僕の場合はグラフィティ、音楽で、これが僕のカルチャーだ。言わば、西海岸のカルチャーがこのブランドを生んだわけなんだ。それに、JSLVには他のブランドにないムーブメント、ポジティヴな人生を送るためのメッセージがある。ただ生きればいい(Just Live)。行動を起こしてやればいい。そういうメッセージなんだよ。


ジョシュ・プリービー

FLJ トレンドではなく、ライフスタイルなんだね。
ジェイソン 僕たちはトレンドを追ったりはしない。例えば、もしJSLVでテニスアパレルをやるとしたら、流行りとか関係なく、誰かテニスをやっている人間がJSLVのファミリーにならない限りやることはない。最近ではサーフィンも入ってきたんだけど、プリーブスは人生ずっとサーフィンしてきているからね。
ジョシュ 小さい時はスケートばかりやってたんだけどね。サーファーの親父は俺にサーフィンをやってほしかったんだけど、当時は親父の期待に応えられなくて。サーフィンを始めたのは18歳からなんだ。今では親父と一緒にサーフィンしててるよ。だから僕自身もすべて好きだし、それがブランドにも反映してるんだ。
ジェイソン 周りにそういう仲間に囲まれているのもラッキーだね。JSLVのスノー・チームはプリーブスの長い付き合いの友達だったり、友達のまた友達だったりする。それはスケート・チームも同じこと。
ジョシュ SK8MAFIAのライダーもJSLVのチームにいるからね。ファミリーなんだ。

FLJ 今回の日本ツアーについても聞きたいんだけど。
ジョシュ  Kyo(梶恭平)がキーマンなんだ。Kyoは今JSLVの日本のディストリビューターとして働いてるんだけど、元々アメリカでJSLVのインターンとして働いてたんだよ。
ジェイソン Kyoがうちで働き始めたのは2009年で、ブランドが立ち上がってまだ2年だった。友達3人連れてうちのドアを叩いたんだ。夜遅くのことで、俺が出ていくと、「ここはJSLVの本社ですか?」って聞いてくるんだ。「そうだけど……」って答えたよ。まだBlitzの中で小さくやってた頃で、大きく見せるために「JSLVの本社だ」って答えたんだ(笑)。
梶恭平 当時ロング・ビーチに住んでて、ベア・マウンテンによく行ってたから、クリス・ブラッドショウのことも追っかけてた。JSLVの商品を買いたくて探したんだけど、なかなか売ってるところが見つからなかったんです。それである日、JSLVの本社が自宅から車で10分のところにあるって知ったから、本社に行って直接買おうってことになったんです。
ジェイソン 「今売る商品がないから、ステッカーをあげるよ」って言って。そこで写真を撮って盛り上がったね。 後日、彼から「大学の単位取得にインターンシップが必要だからここでインターンをやらせてくれないか」って言ってきて。僕はそういうのに慣れてなかったから、考えたよ。「彼は助けを求めてきている日本人なんだ。これってドープなことだよな」ってね。既に日本のJSLV総輸入元のソニックディストリビューションとのビジネスがスタートしていたから、日本にもプラスになると思って彼をインターンとして受け入れたんだ。それで基本的なことを手伝ってもらって、そのうち小さなイベントをやったりもしたんだ。その後 、Kyoが日本に帰国するってなった時に、ソニックディストリビューションから「彼はブランドのことを既にわかってるからソニックで仕事が出来ないか?」っていう話をもらって、それが現在、形になったんだ。
それからソニックとのビジネスはさらにスムースに行って、2012年、2014年とチームを日本に連れていく話があったんだけど、実現しなかった。それが今回やっと実現できたし、 Kyoともこれまで以上にガッチリ仕事ができてうれしいよ。多くの仲間がJSLVをレペゼンしてくれてるのがうれしい。日本でもアメリカと同じように、JSLVのメンタリティでお互いをサポートし合っているのが素晴らしいよ。 KyoがずっとJSLVを信じてくれたから良かった。これは単なるブランドでも、単なるスポーツでも、単なる人間関係でもないんだ。みんなで信じて、ファミリーが力を合わせて前に進んでいくことが重要だから。それはこれから出てくるキッズのためでもあるんだ。だから止めちゃいけないんだよ。どんどん若い人が後から付いてくるようにしていかないと。
梶恭平 JSLVではブランディングやマーケティング、イベント、チームライダーのサポートも彼らのやり方を教わったんです。帰国後はソニックに入社して、JSLVとソニックのヴァイブスが融合して上手くいったので、架け橋になれた気がしました。その結果もあって、このトリップが実現できたと思います。


ジェイソン・ ヴァレンシア

FLJ JSLVは今年で10周年を迎えるんだけど、これから10年後に向けての夢は?
ジョシュ ニカラグアに行って家を建てたい。カリフォルニアとニカラグアの半々で暮らしたいね。もちろんJSLVは続けているよ。
ジェイソン 良い夢だね。JSLVの夢は?
ジョシュ JSLVは大きなブランドにしようと思って始めたわけじゃないけど、結局は今となってはビジネスでもあるし、本気で取り組まなければいけないものになった。だから、僕としては責任を持ってもっとビジネス面を見ていきたいね。もちろん一方では、JSLVはすでにイメージがちゃんと確立されているし、100%素晴らしいブランドだと思っている。だって、インターンだったKyoがクリス・ブラッドショウを招聘して日本ツアーをやって、今僕たちと10周年の話をしているんだ。こういうレベルで話をして仕事をしているブランドって他にあるんだろうか?
ジェイソン 僕にとって理想的なシナリオは、大好きな国にJSLVのショップを作ることだね。1店舗目はLAかヴェニス・ビーチで、西海岸のカルチャーをレペゼンできるところ。その後は日本だね。サーフィン、音楽、アート、ダンスのカルチャーのあるところがいいね。そういう感じで4店舗ほど持ちたい。JSLV以外にもSK8MAFIAの商品も置いてあれば、The Seventh Letterの商品も置いてある。「これが生きていく上で(Just Live)必要なものだよ」っていうのを提案したいんだ。友達のボード、アクサセリー、いろいろ置きたいね。僕たちはサポートを受けたから、僕たちもサポートを与えたい。ショップを構えて、お客さんやキッズ、地元の人たちが求めているものに耳を傾けたいんだ。そこから次のものが生まれるしね。だから単なる小売店ではなく、みんなとコミュニケーションができるインタラクティヴなスペースにしたいんだ。
ジョシュ これはもちろんビジネスでもあるんだけど、ジェイソンにしても、Kyoにしても、クリスにしても、ファミリー、友達の付き合いなんだ。その付き合いが広がったのがJSLVなんだよ。
ジェイソン すべてが一つになって世界が成り立ってるからね。

FLJ やっぱり愛なんだね。次のテーマは「JUST LOVE」だね(笑)。



クリス・ブラッドショウ

FLJ これまで何度か来日の噂があったんだけど、一度も実現しなかったよね。
クリス コミュニケーションの行き違いだね。今回からプリーブス(ジョシュ・プリービー)が去年の夏に「日本に行くぞ」って事前に言われてたからね。だけど綿密に計画を立てすぎて、あやうく飛行機に乗り遅れるところだった(笑)。予約確認書を見て、頭の中で「日曜日に出発だ」ってずっと思ってたら、フライトは真夜中だった。急いで荷物をまとめて時速100マイルで車を飛ばして、搭乗口が閉まる20分前に到着した。それで間に合ったよ。

FLJ スノーボードにハマったきっかけは?
クリス おばあちゃんだね。僕は都会に住んでスケートボードをやってたんだけど、おばあちゃんが山に引っ越して、8歳の時にクリスマスのプレゼントでプラスティックのボードをもらったんだ。そのボードを親父が乗ってみて、スゴく気に入ってしまったんだ。それで家族で山に引っ越すことになった。そこからスノーボードにハマったね。スゴく古いボードに乗ってたよ。1988年のSIMSのシュレッダーの145。ブーツにダックテープを貼ってたね。それ以来一度も途切れることなくずっとスノーボードをやり続けている。当時も今も同じ気持ちでやってるんだ。常にスノーボードを感じていたいから。もう30年も経ってるんだ。ずっと最高だよ。

FLJ ホームタウンのベア・マウンテンについても聞きたいんだけど。「ビッグ・ベア・マウンテンの市長」って言われてるくらいだよね(笑)。
クリス そんなことはないよ(笑)。でもビッグ・ベアがなかったら今の僕はいないね。ガキの頃、ビッグ・ベアにはベストの中のベスト・スノーボーダーが集まっていたから、僕は彼らを見てスノーボードを覚えたようなものだ。Forumチームが登場した時はスゴく刺激を受けたね。ライダーたちのどの動きも真似した。ピーター・ラインが来るって聞いたら真っ先に見に行った。フリースタイル・スノーボーディングやパークをスベるボーダーにとって、ビッグ・ベアのスノー・サミットは最高なんだ。

FLJ ベスト・スノーボーダーのスベりを見て、どのようにして自分のスタイルを確立していったの?
クリス とにかく彼らみたいになりたかった。’80年代後半から’90年代にかけて、トリックって今ほどたくさんなくて、みんな似たようなトリックをやっていた。でもその分、みんなそれぞれにスタイルがあったんだ。同じトリックでも誰がより良いライディングをやってクールに見せるのか。みんなそこを追求していた。僕の親父もスタイルがあったし、小さな僕にいろいろ教えてくれたよ。360をやるにしても180からすぐにやらないで、待って、待って、ちゃんとローテーションを考えてここだって時にやれとか、そういう感じでね。僕自身のスタイルは、ジョン・カーディエルから影響を受けているね。ジェフ・ブラッシー、あとテリエ・ハーコンセンからも少し。彼らがクールだと思うようなライディングをやりたかったんだ。

FLJ クリスにとってJSLVとは?
クリス スポンサーの一つではあるんだけど、仕事だとかスポンサーっていう気がしないんだ。親友だし、ファミリーだし、僕にスゴくクールに接してくれる。僕も彼らに手伝ってもらいたいし、彼らも僕に手伝ってもらいたい。彼らから何かを頼まれたら、僕は最大限で応えたい。僕たちのスタイルは同じだし、カッコいいライダーを見つける時も、カッコいいモノを作る時も姿勢は同じなんだ。

FLJ クリスが今取り組んでいることは?
クリス 3月末に発売のVideograssのムービー『Visitors』。去年撮影を開始して、フッテージを提供した。さらに撮影を続けて、年末にはリエディットも出すよ。雪があればどこでも撮影する。聖輝にも良いスポットに連れていってもらいたいね(笑)。



戸田聖輝

FLJ JSLVとの関わりはどこから?
戸田聖輝 元々スポンサーについていた会社(マニューバーライン)がJSLVを日本で展開しているソニックディストリビューションと同じ会社で。俺が小さい時から尊敬しているライダー、クリスとかルーカスがJSLVで。そこに迎えてくれたんです。熱いブランドですよ。

FLJ JSLVはどのようなブランド?
戸田聖輝 ファミリー・ブランド。一声でみんな集まるし。ライダーと会社の人たちのスタンスが、たぶん他のメーカーとは違う、熱い関わり方。アメリカに行って、初めてJSLVのオフィスに行った時に、(梶)恭平くんと初めて会って。俺、ベアでスベってたんですけど、ケガしちゃって松葉杖でした。そこからスゴく自然にJSLVのファミリーに入ったっていうか。何のストレスもなく、気づいたらここにいる、みたいな感じで。

FLJ これだけカルチャー感のあるスノーボードのブランドもないし、そこが合ったんだろうね。
戸田聖輝 そうですね。考え方が全部合うというか。スゴく自然だったんです。今までにない感覚。JSLVのために何かしたいという気持ちも出てくるくらい合うんです。ちゃんとここに居場所がある感じで。

FLJ JSLVチームとしての活動は?
戸田聖輝 2年前に日本で初めて一回イベントをやって。その時もスゴく盛り上がって。その時にけっこう熱い話ができて。そこで熱い気持ちになったし。これからは若手もJSLVチームで欲しいなとかいろいろ考えてて。育てられたらなと思っています。

FLJ スノーボードは元々カルチャーが強いものだったしね。
戸田聖輝 それがまたできそうなブランドですからね。JSLVはそういう発信ができるブランドですね。

FLJ 聖輝から見てクリスはどういうスノーボーダー?
戸田聖輝 レジェンド。スタイルがヤバイし。シンプルな技もカッコいい。無駄のないスベりをする。上から見てても「あ、クリスだ」ってすぐわかる。絶対に真似できないスタイルですね。

FLJ 個人的な活動の方は?
戸田聖輝 ストリートで撮影して、映像を貯めて。去年までいたチームを抜けることになって、一から自分で新たな動きをしようと思って、今その活動をしてます。夏ぐらいには何かしらの形で出すと思います。

FLJ 神立高原で行われるイベントは?
戸田聖輝 あり得ないパークなので、スゴく盛り上がるイベントになると思います。日本にはなかなかないパークで。150メートルくらいしかない場所でやるんですけど、スケートパークのノリで、ラインで遊べる。クリスのスタイルが活かせるパークだと思います。



ソニックディストリビューション
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